さてオリンピック。
いまは大会9日目(大会期間全体では折り返しを過ぎたあたり 8/3土曜夜)、日々流れるスポーツニュースでオリンピック関連が盛んに重奏を織り成すのがこのころ。プロ野球・MLB・高校野球などもこの時期は脇に押しやられぎみな印象
いつもこの時期あたりが個人的にも"観戦熱"のピーク。特に印象に残った柔道・フェンシングについて(文字通り雑多な)雑感を:
TVerで堪能
今回、かなり多くの競技を無料配信してくれている(実況はあったりなかったり)
現地パリとは時差+7時間。ランニング(いやこの時期はほぼウォーキングか)やfeelcycleから帰宅した夜には、ちょうど現地昼過ぎ~夕方に行われる各競技のライブ配信をPCモニタで観る日々
柔道
開会式の余韻(構成や演出がどうこう…という、わさわさしたあれ)を受け、期間中の序盤にまずやってくれるため自然と見入ってしまう。
これを書いているいまは、柔道競技の締めくくり「混合団体」を観ながら。決勝進出する日本以外の3位決定戦も観ていると、銅メダルのかかった気合十分の団体戦が繰り広げられている
多クラスのおもしろさ
軽量級から→重量級→最後に混合団体と1日ずつ開催される。1競技でこれだけクラス(階級)が分かれ、各国選手層の特徴・試合運びの流れが微妙に-グラデーションのように-異なる点がおもしろい。今回いろんな階級の試合を観られたのでそう感じたのかも
堂々の個人競技
野球・バレーボール・バスケットボール・サッカー…などのチーム球技に比べれば、(4年に一度とはいえ)こんな風に注目される個人競技はなかなか限られている。勝敗を単独で背負う覚悟。堂々とした決意+緊張がない交ぜになった試合開始前の表情。スポーツ観戦を楽しむ一日本人として、充分感じられた
人間による審判は衰退するか?
- 誤審(と呼ばれる覆らない結果)が今回も話題に
- 人間はミスをする(見るべき瞬間を見逃してしまう・主観だけで判断してしまう)もの。映像での審議(主審が両手で「長方形」を描くあのシーン)は効果的に導入されていた
- フェンシングのような電気的検出:例えば「道着の背面全体に薄い電極を縫い込む、または畳の側に圧電素子を入れておき → 一定面積以上での電圧検出で "背中がついた" を電気的に判定」などは、すぐにできそうな仕組みではある
- などと、近い将来に判定自動化が何らか進んだとしても、「人間が審判として立たなくなる」試合風景は考えにくい
- つまり誤審(と呼ばれる覆らない結果)は今後もなくならないだろう。でもそれが、人類の(厳密には、競技団体としての)選択ということでよいのでは?
ジュリー
- ジュリー="陪審員"として、主審・副審以外の客観視点を提供する役割でもある。以下Wikipedia記事の見方によっては「柔道国際化の歴史=誤審の歴史」とも読める
- ちなみに、上記記事は日本語版にしかない。つまり非日本語圏(英語圏・フランス語圏など)では、そもそも誤審・ジュリーに対する関心がそこまで高くないようである
フェンシング
伝統のグラン・パレ
自国発祥のスポーツが世界に広まり、各国の選手が集い戦う場所。フランスの伝統・気品・誇りを感じた
習熟の電気審判機
有効面への打突の検出、文句の言いようがない仕組みを作り上げていておみごと。もちろん「人間対人間」対決のおもしろみは何も失われていない。
最近の導入?と思ったらかなり以前からだった。エペへの導入から、フルーレ(上半身のみだから?)・サーブル(突きだけでなく切りもあるから?)への導入まではそれぞれ20-30年単位の開きあり、導入への要望はおそらく明らかだったのに、技術的な難易度がそれぞれにあっただろうことがうかがわれる
1936年、電気審判機による判定をエペに導入
フルーレには1957年、サーブルには1988年に導入
堪能しました
日本発祥の柔道が世界に広まり、柔道大国フランスとガチマッチ。フランス発祥のフェンシングで日本勢が活躍・躍進。インターネット・映像配信の恩恵で、充分堪能できました。選手・関係者の皆さんありがとう!